オーボンコワンを右手にして、都電荒川線電停「鬼子母神前」に向かい、踏切を渡ると道が二股に分かれます。
左の道を進むと小さな商店街が続き、やがて明治通りに合流して池袋へ辿り着きます。
右の道には風情のある石畳が敷かれ、その両側には立派な欅(けやき)が立ち並びます。この欅並木は東京都の天然記念物にも指定されていて、かつては樹齢400年以上の大ケヤキが18本並んでいたそうですが、残念ながらその大ケヤキは今は4本しか残っておらず、若木を補いながら江戸の景観を今に伝えているようです。
この並木道界隈にはなかなか味のある建物が多く、のんびりと眺めながら歩くだけでも楽しいのですが、実はその中の一つの部屋で、あの手塚治虫の創作がなされていたのだと思うと、漫画ファンならずもワクワクしてしまいます。
そんな欅並木を通り過ぎ、突き当たりを左に曲がると、いよいよ「鬼子母神」が見えてきます。
法明寺鬼子母神堂の建立は1578年(天正6年)5月3日と記録されていますが、その後、1664年(寛文4年)に今の本殿が造営されたようです。
境内には他に妙見堂、大黒堂、法不動堂、武芳稲荷堂があり、どことなくユーモラスな鬼子母神像にも出会えます。この鬼子母神、字面だけ見ると何とも恐ろしい雰囲気をただよわせていますが、安産、子育の神様として広く信仰されています。
そして、忘れてならないのが鬼子母神のシンボルともいえる大銀杏で、1400年頃に植えられたと伝えられているこの巨樹は樹高30m、幹周8mの雄株で、誕生から600年を経た今もなお樹勢は衰えていないとか。あやかりたいものです。
さて、鬼子母神前から都電荒川線に沿って都電雑司が谷方向に歩いて行くと、右手に広がってくるのが雑司が谷霊園です。お墓なんて…といわずに、ぜひ散策してみることをお勧めします。きれいに手入れされた霊園には、四季折々の花が咲き、ここが本当に都心なのか?と思うくらい、のんびりした空気が流れています。
著名人のお墓も多く、夏目漱石、泉鏡花、永井荷風、竹久夢二、さらにはジョン万次郎などなど、数え上げればキリがないといった感じ。散策がてらにこうしたお墓を探してみるのも楽しいものです。
時間が許せば、霊園の南東側にあるお花屋さん、此花亭も見ておきたい。それはそれは立派な、築80年以上の2階建ての建物です。まるで映画の中に入り込んでしまったような気分になります。ちなみに店の前の井戸は今でも現役、井戸水は飲むことも出来るそうです。
雑司が谷から千登世橋を渡り、JR目白駅へ向かう途中、左手には広大な学習院大学の敷地が広がります。実は大学敷地内にはたくさんの名所・旧跡があり、1810年(文化7年)に雑司が谷の俳人金子直徳が建てた「芭蕉の句碑」や、第10代院長乃木希典が学生たちと寝食を共にした「乃木館」等は広く知られていますが、他にも「大学資料館」、「東別館」、「榊壇」、堀部安兵衛ゆかりの「血洗いの池」等の見どころがあります。敷地内にある富士見台はその名の通り富士山眺望の名所として名高く、歌川広重の「富士三十六景」にも当時あった富士見茶屋が描かれています。
施設部で見学手続きを済ませれば誰でも構内を散策することが出来ますので、歴史に思いを馳せながらそぞろ歩きを楽しんでみてはいかがでしょうか?
1907年(明治40年)に来日したアメリカ人宣教師J・M・マッケーレブの自宅として建てられた貴重な近代木造建築が、豊島区の管理のもと、今も変わらない姿を伝えています。
建物は19世紀後半のアメリカにおける郊外住宅の特色をよく表している、素朴な住宅です。1階居間の暖炉にはアールヌーボー調のタイルを使い、ケヤキ材の前飾り。二回の天井には割竹が使われて、東洋への興味が窺えます。
ガラスを多用した明るくかわいらしい洋館は豊島区内に現存する最古の近代木造洋風建築として、東京都指定有形文化財になりました。
館内には様々な資料が展示され、無料で一般公開されています。